蓮華:花を咲かせる

どのように「私」は作られるのだろう。

赤ちゃんの時は環境への反応だけだったが、その反応パターンから次第に自我が作られる。1歳ではおもちゃを取られても平気だが、2歳前には「自分のものが取られた」と怒り出す。その後、第一次反抗期。何でも自分でやりたがるし頑固になる。「自我」が芽生える。

幼児から子供になると「私」という意識が確立する。そしてそれはずっと続く。大人になって強化され、死ぬまで続く。

環境への反応が「私」となり、「私」を守る戦いになる。思春期になると人目を気にするようになり、自意識過剰になる。大人になると自分の権利を主張するようになる。自分と他人を明確に分け、どうすれば勝てるかと考える。他から区別された頭でっかちの一人の人間が出来上がる。

頭で考えて幸せになれるとは思わない。二元論で生きている限り、戦いはずっと続く。何が正しくて何が間違いか、成功と失敗、勝ち組と負け組、健康と病、生と死。どちらかに肩入れしてどちらかと戦う。

本当は「自分」なんていないのに。

最近、気づいたことがある。昔から伝わるある種のポーズがある。姿勢だったり、ヨガのポーズだったり、手で印を組むものだったり、マントラを唱えるものがある。それらのポーズはゲート(扉)だということ。

意識を集中して、あるポーズをとっているとゲートが開く。ゲートが開くのは、花が咲くのと似ている。花が咲くと、花と一体になる。そこには「私」は存在しない。ただ、花がある。

ゲートを開くには意識を集中する必要がある。人は頭を使いすぎているから意識を集中するのは難しい。すぐに何かを考え始めてしまう。けれど、毎日のようにポーズをとることで考えが落ちてくる。そうなると発見がある。人体にはまだまだ秘密が隠されていることがわかってくる。

「私」がいなくなり「花」が咲く。それこそ、ハスの花が開くように。